聖霊による祈りと救い!①

「聖霊による祈りと救い!」

vol.31🏡サンクチュアリ三代圏教会🔔メール通信便り!2016年5月no1

 
今月の聖心日課・信仰侍義生活のテーマは「聖霊による祈りと救い!」です。
先回のvol.30 メール通信便り!②<訪れ給う神>では、「神の臨在は、神さまが私たちのもとに訪れて来られるとき、どのように素晴らしく感じるかです。 」とあります。
 
私を訪ねられる神様を如何に意識することができるか?
その対面の仕方によって、神の臨在に対する意識が違ってきます。
 
 
今まで、求道の道でひたすら神様を尋ね求める生活でしたが、神様の方から訪ねてくださっておられることを私たちは知る必要があります。
そして、そのように意識して行けば、必ず何かが変わりはじめるはずです。
 
訪ねて来られる神様に対面できず、神様を感じることができないのは、ひとえに私の内面にある“不義と罪”ゆえです。
📘[イザヤ59:1~2]
『見よ、主の手が短くて、救い得ないのではない。
その耳が鈍くて聞き得ないのでもない。
ただ、あなたがたの不義が
あなたがたと、あなたがたの神との間を隔てたのだ。
また、あなたがたの罪が
主の顔をおおったために、お聞きにならないのだ。』 

③<祈りの霊を燃え立たせるには> 
「こういうわけで、あなたに注意したい。わたしの按手によって内にいただいた神の賜物を、再び燃えたたせなさい。
というのは、神がわたしたちに下さったのは、臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである。」(Ⅱテモテ1:6~7)

 重大な問題だけでなく、日々、事毎に神に尋ね聴いて生きる生活、これが祈りの生活です。
よくなかなか祈れないと言う人がありますが、
それは、その人の祈りそのものに問題があるからではないのでしょうか?
本当に良き祈りとは?
あなたは自分で工夫することを怠っていたと思いませんか?

 なぜ祈ることができないのか。それは、惰気満々、肉の力が強くて霊の力が弱いからです。肉が弱いのじゃなく、肉が強いんです。
肉とは、生まれながらの人間性(自我)のことです。
ヒシヒシと神の臨在感を感じていなくてはならないのに、それが、なぜ感じられないのでしょうか?
「神の賜物を燃え立たせよ」とあるように、燃え立っていないからです。

そのためには、自分内に宿るサタンの不義と罪が何であるかを知ることが重要となります。

<七つの罪源と三毒>
罪源とは、罪へと導く習性であり、罪の源である。
「高慢、貪欲、邪淫、嫉妬、貪食、憤怒、怠惰」を七つの罪源という。

 三毒とは、人間の諸悪、苦しむ煩悩の根源。
「貪トン、瞋シン、痴チ」を三毒という。
・「貪」はむさぼり、必要以上に求める心、渇愛(情の病)
・「瞋」は怒りの心(意の病)
・「痴」は真理に対する無知、愚鈍(智の病)

「私〇〇」の邪な悪なる罪源は
「…………と…………と………」です。

このように「私〇〇」の不義と罪の内容をしっかり認識して、神様と「私」の関係に何が障害になっているかを認めることから始まります。

🎨[今年の暗唱の詞(ことば)]  2016年
 <マザー・テレサの詩>
「神はわたしたちの中に住んでおられます.
あなたが汚れなく、聖い心でいるかぎり、
あなたがどこにいるかは関係ないのです.
汚れなく、聖いとは、心が開かれている状態です.
開かれた状態とは、完全な自由、
つまり、どんな妨げや障害にもかかわらず、
神を愛することを可能にしてくれる無私の状態を意味するのです.
過ちが生活の中に入り込んでくると、
それは神とわたしたちの間で、本人の内部の障害となります.
過ちは、
わたしたちを囚われた者とすることにほかならないのです.」 
🎶 アーメン・アージュ・ハレルヤ!
さて、5月に入り、ゴールデンウィークが始まっておりますが、5月 15日は聖霊降誕日(ペンテコステ)です
今月は「聖霊さまによる祈りと救い!」をテーマとして聖心日課•信仰侍義生活を過ごしてまいりたいと考えます。
中々、十分に祈れない方が多いと思いますが、まず私たちの祈りをいかに聖霊さまに執り成していただくかが重要です。
ですから、私たちは祈る時に「聖霊さま、私はこれから祈ります。どうかどうか私の祈りを助け執り成してください!」と言ってからお祈りをはじめてみましょう。
日本サンクチュアリ協会 副会長
🏡サンクチュアリ三代圏教会🔔
  教会長 平井 松夫

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コメント: 1
  • #1

    佐藤 美和 (月曜日, 09 5月 2016)

    お祈りの前に執り成しの御言葉があったんですね
    とても良いことを教えて頂きました
    ありがとうございます

    後 不義についても教えてくださり、ありがとうございました