福音書記者ヨハネについて!

 

横浜の阿部です。日々のご聖恩感謝致します。

天よりの恵みにより三代圏教会において皆でヨハネ福音書を学ぶ機会が与えられ感謝です。

今、小説「沈黙」の映画化で話題となった遠藤周作氏の著作の中から福音書記者ヨハネについて書かれた書籍を見つけました、ヨハネの生涯を紹介した内容です。

皆様の学びのご参考になればと思い以下に転記してお送りいたします。

宜しければお使いください。

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John ヨハネ

「遠藤周作で読むイエスと十二人の弟子」 遠藤周作 芸術新潮編集部 []

 

ヨハネはヤコブの弟である。だから仇名もおなじ雷の子、兄に似て若いころは短期で生意気な男だったらしい。

 もともと洗者ヨハネの弟子だった彼はアンデレとともにイエスに会い、弟子になっている。弟子のなかでも古株だったことがヨハネをちょっぴり傲慢にしたのかもしれない。

 また彼の実家は魚屋だが、従業員を何人かつかうほどの店がまえでなかなか裕福だった。貧しい家が多いガリラヤの町ではいいとこのボンでとおっていた。それでプライドが高かったのかもしれない。

 

 ヨハネは十二使徒のなかでもっとも若い。イエスに会ったとき彼はまだ十代だった。そしてイエスは自分の親類でもあるこの青年をだれよりもかわいがっていた。

「最後の晩餐」の席でイエスにしなだれかかっているのがヨハネである。

あんなふうにイエスに甘えるのは弟子のなかでも彼だけである。

 

でもいくら愛弟子だってしかられることはあった。ヤコブのところで紹介した「右大臣、左大臣」「サマリヤ焼き打ち」のときイエスをかなしませた。

 またあるときは、口をとんがらせながらイエスのところへやってきてこういった。

「先生の名前をつかって悪霊を追いはらってるペテン師がいたから、やめなさいって注意したのに知らんぷりするんです。先生からガツンといってやってください」「いや、いいんだよ、ヨハネ。その人はべつに私たちに反対しているわけではない。反対しない人は味方と思わなくては」

 イエスはやんわりと諭すのだった。

 

ゴルゴダの丘で十字架にかけられたイエスは、息子の最期をみとる母親マリアにむかって「これからはヨハネをあなたの息子と思ってください」といった。そのことを知ったヨハネはどんなにうれしかっただろう。やっぱり先生は僕を愛してくれていたんだ・・・・。

 ヨハネが大人になったのはこのときからだと思う。マリアを自分の家にひきとると、彼女がなくなるまで実の息子のように世話をした。

 

 マリアの死後、それまでペトロといっしょにエルサレムで布教をつづけていたヨハネはトルコへむかう。

 そこは異教徒の地である。異教の神につかえる神官たちはヨハネを神殿にひっぱりだすと、むりやり祈らせた。踏み絵である。

 ヨハネは祈った。ただしイエス・キリストに。

 するとおどろくなかれ、神殿がガラガラとくずれおちたのである。

 神官たちは眼を疑った。とても信じられない。

「ヨ、ヨハネよ。こ、こんなことくらいではだまされないぞ。もしおまえが毒をのんでも平気なら、そのキリストやらを信じてもいいが」

 きたないやつらだ。しかしヨハネは敢然とこの挑戦をうけた。「いいだろう」

 はこばれてきた毒杯の上で十字をきると、ヨハネはそれを一気にのみほす・・・・なんともない。

みていた群衆は拍手喝采、神官もこんどはおとなしくひきさがるしかなかった。

 ヨハネの持物が毒蛇の入った杯なのはこのときの話による。彼の人気はうなぎのぼりで、信者の数もぐんとふえた。

 

とうぜん神官たちはおもしろくない。彼らはローマ皇帝に手紙を書いた。いわく、ヨハネは神殿を冒涜する危険人物です、云々。

 皇帝はヨハネをローマによんだ。そしてキリストを否認しろとせまった。

 むろんそんなことはできない。

 城の外には油の煮えたぎる大釜が用意してある。ヨハネはそこになげこまれた。

カラアゲの刑である。

 だがヨハネは無事だった。テラテラと体中、油まみれになって釜からでてきた。奇蹟  とはいえまるで手品師である。

 

ところで、十二使徒(ユダ以外)のなかで殉教しなかったのはヨハネだけである。なぜだろう。のちに黙示録と福音書をあらわすという大切な仕事があったからか。

 いずれにせよ拷問してもムダだと知った皇帝はヨハネを島流しにした。行き先はエーゲ海に浮かぶ無人島、パトモス島である。

 そこはひどくさびしいところだったらしい。ゴツゴツした岩だらけの島で、ヨハネはひとり洞窟にこもり黙示録を書いた。その中味は世界の終わりにイエスが再臨し、神の国が出現するという話で、未来小説のようなものである。

 

そのうちローマ皇帝が死んだ。政策もかわり、ヨハネはゆるされてトルコにかえった。彼は長生きである。九十五歳まで生きている。その最晩年にヨハネ福音書を書いたらしい。

 

イエスと出逢い、旅、そして別れ。

師も仲間もみんな死んでしまった--------何十年も昔の記憶をたどりながら、ヨハネは万感胸にせまる思いだったにちがいない。

 

そのころのヨハネはなにをきかれても「たがいに愛しあいなさい」としかいわず、弟子たちを困惑させている。ボケたのではない。けっきょくイエスが説きつづけたの教えがすべてだとさとったのだろう。

 

そんなある日、ヨハネの耳にあのなつかしいイエスの声がきこえた。

「私のもとにきなさい。私と仲間たちのもとに」

 死ぬべきときがきた。

弟子たちに穴を掘らせたヨハネはみずからそこに入り、祈りをささげた。

その彼をまばゆい光がつつみこんだ。誰も眼をあけていられないくらい強烈な光である。

 

そして光が去ったとき、ヨハネの姿もこつぜんと消えていたという。

愛弟子ヨハネはイエスのふところにかえったのである。

 

サンクチュアリ三代圏教会

神奈川mission   阿部