聖書・ヨハネ福音書解説(12)あなたと話をしているこのわたしが、それである

 

vol.71サンクチュアリ三代圏教会メール通信便り!2017年4月no3
 
さて、第4章「サマリヤの女」の続きです。
聖書・ヨハネ福音書解説(12)
あなたと話をしているこのわたしが、それである
ヨハネ4:15〜26
『4:15女はイエスに言った、「主よ、わたしがかわくことがなく、また、ここにくみにこなくてもよいように、その水をわたしに下さい」。 
4:16イエスは女に言われた、「あなたの夫を呼びに行って、ここに連れてきなさい」。 
4:17女は答えて言った、「わたしには夫はありません」。イエスは女に言われた、「夫がないと言ったのは、もっともだ。 
4:18あなたには五人の夫があったが、今のはあなたの夫ではない。あなたの言葉のとおりである」。
4:19女はイエスに言った、「主よ、わたしはあなたを預言者と見ます。 4:20わたしたちの先祖は、この山で礼拝をしたのですが、あなたがたは礼拝すべき場所は、エルサレムにあると言っています」。 
4:21イエスは女に言われた、「女よ、わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが、この山でも、またエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。 
4:22あなたがたは自分の知らないものを拝んでいるが、わたしたちは知っているかたを礼拝している。救はユダヤ人から来るからである。 
4:23しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。 
4:24神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」。 
4:25女はイエスに言った、「わたしは、キリストと呼ばれるメシヤがこられることを知っています。そのかたがこられたならば、わたしたちに、いっさいのことを知らせて下さるでしょう」。
4:26イエスは女に言われた、「あなたと話をしているこのわたしが、それである」。』
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[聖書略解]
4:16〈夫〉は、サマリヤ人の礼拝する神をいう。
〈五人の夫〉は、アッシリア人がサマリヤに移住させた五民族の神々をさす(列王下17:24〜33)。
〈今の〉夫は、当時サマリヤ人が礼拝していたヤーウェのこと。それは他の神々と混同して、半ば偶像化していたヤーウェであった。
真の〈夫〉はサマリヤ人にはなかった。
4:19.20女はイエスを〈預言者〉とみた。そこで平素苦しめられていた、真の礼拝の場所はゲリジムかエルサレムか、という切実な問題を持ち出して、その解決をイエスに問うた。
4:21イエスはその問いに対して、問題は礼拝の場所にあるのではなく、礼拝者たちの心の持ち方にある。
心の持ち方が正しいなら、礼拝の場所は問題とならない。
イエスが来たことによって、この問題は解決された。
〈この山でも、またエルサレムでもない所で、父を礼拝する時がくる〉
否、すでに来ている。
4:23〈霊とまこととをもって父を礼拝する〉こと、真心からの信頼をもって、肉によるもの、目に見える形式的なものから離れ、上からの霊導かれ、霊に満たされて、神を礼拝することである。
それは、神の愛と神の真実の具現者であるイエスの仲介によって可能である。
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[聖句の解説&point]
4:23「霊とまことをもって」という言葉は「霊とまことの中で」とも訳されています。
 
「かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。」

☆ここに何度も「内におり」という言葉が出てきますが、それは神様の中にキリストがおり、キリストの中に私がいる。まさにこれこそ、神人愛一体理想の世界です。
 
私たちが霊と真理を用いて礼拝するのではなく、神様が遣わしてくださった聖霊と真理に包まれる中で、私たちとイエス様(真のお父様)と神様が一つの愛の交わりの中に生かされていて、その恵みと真理に満ちた神の栄光を讃美する。それが礼拝なのです。
 
☆イエス様の語られる生ける水とは、サマリヤの女の言った“物理的に毎日水くみをしなくてもよいようにとか、単純にのどの渇きをうるおす水とか”の次元の話しではないのです。
 
☆さて、家庭連合時代、自らや家族の身辺に災いが起こらぬように求める余り、信仰を、み言を、アベルの言葉(指示)頼りに「K」に置き換えたり、とらえ違いをしたりして、同じような間違いをしていなかったでしょうか。
救いは「K」の大小によってもたらされるものではない。
神様は引き換えの神様ではない!
神様は人類の親なる愛なる神様なのです。真のお父様は神様と人類の救世主なのです。
 
4:26イエスは女に言われた、「あなたと話をしているこのわたしが、それである」
☆イエス様は毅然と「あなたと話をしているこのわたしが、それである」と、自らをキリスト、メシア・神から来た者であると言い切っておられる!
世人に届かなくても公然と、私たちの真のお父様もメシア宣言をなさった。
私たちはその使徒としての誇るべき自覚を自らの内にどれほど持ち得ているだろうか?
 
☆私たちはまさに驚くべき時代、二千年間、神が、人類が、クリスチャンが待望したお方と出逢ったのである。
生きたキリストに出逢うことが一方的に許された私たち。
その言い知れない驚きと感謝を、今こそ、そのキリスト(真のお父様)の相続者である亨進二代王に心を向け、その心情の方向性に焦点を合わせ、しっかりと霊と真理をもって、謙遜、かつ雄々しく生きてまいりましょう!
 
サンクチュアリ三代圏教会
    教会長    平井   松夫